ライオンキングは「ジャングル大帝」のパクリ!? 

今日、一年前に買っておいた「手塚治虫からの伝言」中野晴行監修を見終わった。やはり、手塚治虫という漫画家は日本の漫画・アニメの礎を創った人と改めて敬意を払いたいと思います。

 

 それで思い出したのが、”ライオンキング(1994年公開)は「ジャングル大帝」のパクリ!?“じゃないかという話です。確かに私がライオンキングを見ていても、細かいところは違うのですが全体のストーリー性、組み立ては確かに似ているとつい思ってしまうのです。ただ、最終的には手塚自身がディズニーを尊敬していた、ディズニーの世界が大好きだったこともあったからでしょう、裁判沙汰にならずに済んだと聞いています。手塚プロダクションの英断、私はそれでよかったのだと思います。クリエイティブな人間はどこかで刺激し合い、或るところを参考にし、さらに良くしながら作品作りをして行くものです。手塚が生きていても自分の作品が大好きなディズニー作品の参考になっていると、逆に喜んだのではないかと思うのです。

 

TDL開業からの10年

TDL開業前、そして10年

オリエンタルランドの株主に千葉県、浦安市が入っているのをご存じでしょうか?

開業前、お金が無かったオリエンタルランドの高橋政知社長は当時の千葉県川上知事、沼田副知事(後に県知事)の力添えがあって、三井不動産も首を縦に振り、また銀行協調融資団も結成されたとことある度に言っていました。また浦安市のまだ町時代の熊川町長もカリフォルニアのディズニーランドに視察に行き積極的に推進してくれたとも・・・。特に感謝していたのは、当時あった「日本興業銀行」の菅谷副頭取です。高橋さんと沼田さんが日本興業銀行を訪れた際に、これは「心の産業だ」と銀行の協調融資団(シンジケート)を結成するのに尽力してくれたそうです。そんなこともあり、県も市も株主に名を連ねているのです。そして、手前みそと言われるかもしれませんが、今は亡き、京成電鉄の川崎さんのディズニーに対する思い、そして三井不動産の江戸さんが高橋さんに白羽の矢を立てオリエンタルランドに連れてきたこと、様々な方々のご尽力があり、東京ディズニーランドができたこと、私は忘れません。

 

開業時、友人たちや親せきからは「お前、何であんな会社に行ったんだ。オリエンタルランドは遊園地が駄目になったら、土地を売るつもりでいるらしい」「あの会社はディズニーランドなんかどうでも良いと言っている」、はなから「土地転がし」と言われる始末でした。また、開業してから数年経ち、ある程度東京ディズニーランドは認知されるようになりましたが、名刺を差し出したときにオリエンタルランドのイメージからでしょうか、必ずといって良いほど、パチンコ屋さん?観光業の何か?!と聞き返され、「東京ディズニーランドを運営している会社です」と、説明しないとわかってくれませんでした。今は笑える昔ばなしですが、分かってもらえるようになったのは、やはり1996年に上場してからだと思います。ノスタルジーはつづく・・・

 

ディズニー フィロソフィー その3

 

 

『  パークはまるで生き物のようである。

  木々も成長を続けていくように、全てが歳を重ねるごとに美しさを増している。   

  常に創意工夫を続け,新しいものを付け加えることによって、

パークを永遠に成長させ続けることができる  』

 

1983年4月15日に開業して以来、TDLは絶えず、成長させ続けています。パークは永遠に未完成なのです。

ディズニーのすごいところはアトラクションやテーマパークを創り続けている「WDI」という存在があることです。これはカリフォルニアのディズニーランドを創ろうとしたときに生まれた会社でウォルトの遺志を受け継いでいるイマジニア達がいる会社です。ですから、TDLができた時には、もう10年先を見越した「将来開発構想」に基づき 新しいことにチャレンジし、新しい魅力を付け加え続けているのです。後に私もマスタープランチームの一員として、プロジェクトマネージャーとしてその仕事に従事できたこと、今思うとオリエンタルランドに感謝しています。

TDLは当初、600億円位(あの頃、後楽園遊園地が270億円?!と言われていました)でできるだろうと始めましたが、それが膨らみ続け、800億円、最終的には1800億円かかりました。今でしたら経営者の首が飛ぶかもしれない大きな出来事です。お金が無かったオリエンタルランド、その時の高橋政知社長はすごい方でこれは聞いた話ですが、ご自身の渋谷松濤町にあったお屋敷を担保に入れたり、当時の千葉県知事、副知事、銀行の頭取を始め責任者の方々に頭を下げ、銀行協調融資団を結成、そうやって出来上がったパークです。私は今でも高橋政知さんを尊敬していますし、高橋政知さん無くしてパークはできなかったと思います。借金まみれのOLCですが、次を見据え新しい投資をして行きます。この借金返済ができたのは開業して数年経ち、旧本社跡地を売却してからでした。

  

この言葉は企業だけでなく、人も、全てのものに言えると思います。

勿論、あなた自身にも・・・^^

(つづく)

ディズニー フィロソフィー その2

 “私たちは地球上で一番素晴らしい場所を夢に見、創造し、デザインし、

    建設することができる、しかし、それを現実のものにするのは人である“

                     ウォルト・E・ディズニー

 

この言葉も、私の好きな「ディズニーフィロソフィー」の一つです。

企業の成長には人財の質の向上が全てです。仕事は厳しくて当り前、その中でも「生き生きと楽しく働ける環境」作り、そして「人財育成」を図るマネジメントがいる企業が大きく成長しています。

 

ビジネスは「人」ですと数多くの経営者、学識経験者たちは言ってきました。特にマーケティングのフィリップ・コトラー氏、以前「思いやりの仕事術・・・仕事も人生も思いやりで成果が上がる」とか「マーケティング・・・人との繋がりを作る活動」と言ったことが、私の考えに近い感じがします。最近では人間中心マーケティング理論と実践として「H2Hマーケティング」なる考え方を打ち出していますが、それらは全て、「会社は人」に焦点を充てなければならないということを言っています。H2H「Human to Humanですが、同様にディズニーの現場でも当たり前のように言われていたのは「Heart to Heart」です。私には後者の方が長年使っていますので、馴染みがあり、全く違うジャンルから同じ様な処に帰結して行くのが面白いと思います。余談ですがディズニーの飲食施設では「Hand to Handという言葉もあり、ゲスト対応の時には会話と手渡しが原則です。ですから、ディズニーのバフェテリアサービスでは作り置きをせず、ゲストが見ている場で、口頭でメニュー説明をし、心を通わせ、盛付をし、笑顔で手渡しするのです。

ウォルト・ディズニーの世界も私に「お客様のことを徹底的に考える」「働く従業員のことを徹底的に考える」ということが企業の根幹であることを気付かせてくれました。

 

ディズニーの世界を離れてから随分経ちますが、ディズニーの世界を知れば知るほど、笑顔があふれる職場になっているか、私たちの商品がお客様にとって価値あるものになっているか、会社の存在意義は何処にあるのか、絶えず考え続け、実行に移さなければ「お客様のために存在する企業」になれないと思うようになりました。多分ディズニーと深く関わり、仕事をした人の中には私と同じように思っている人が数多くいると思います。

ディズニー フィロソフィー その1

 ウォルト・ディズニーは、枠にはまった学校の勉強が嫌いで中学中退です。しかし、夢(自分のしたいこと)を諦めず、時代をよく読むことに優れ、アイデアに富んだ天才的なプロデューサーでした。そして、アメリカを代表するクリエイティブな実業家でもありました。彼が残した数々の名言は現代でも十分に通じるものがあります。

特にこの言葉はどうでしょう?!

 

「浮き沈みの激しいわたしたちの業界では過去の栄光に固執することも、いま手にして

いる名誉に酔うことも許されない。時代も私たちを取り巻く状況もめまぐるしく変化す

る。だからこそ、つねに将来に向けて目標を設定しつづけなければならない。」

                          ウォルト・E・ディズニー

 

 これは今から八、九十年前にウォルト・E・ディズニーが言った言葉です。当時はまだ資本主義は未だ黎明期、時間もゆったりと流れていた時代ですが、現代でも通用する資本主義の本質を突いた言葉だと思います。ウォルトは時代や世の中の流れをよく読み、今何をなすべきか絶えず考えていましたので、モノづくりの本質を捉える言葉が出てきたのだと思います。そしてこの言葉は今でもあらゆる業種業態に通用します。他がやらない、やっていないことに絶えず着目し、どうしたらできるのか徹底して考える、この絶え間ない革新力、そして妥協を許さない本物を追求するウォルト、だからこそ今も通用するのです。言い換えれば、これは素晴らしい商品を創り上げる「作る人」の立場から物事を見ているのです。企業は価値があり、競争力のある「商品(=作品)」が無ければ市場への進出はできません。また、どんな競争力を保った強い商品でも、時代の流れ、人々の嗜好や流行、科学の発展に伴い、求められるものが変わってきます。ですから、その時代に応えられる新しい価値を生み出さなければ、コモディティ化され、いずれは淘汰される運命にあるのです。おまけに、その時代に求められるもののサイクルは年々短くなっています。だからこそ、今は最良、最高のものであっても、つねに将来に向けてさらに良いものを目指して行かなければならないのです。

オペレーション・・・スピール、ナレーション

開業時、驚いたのが運営部の「スピール・ナレーション」だけで専門の講師がいたのです。その方はNHKのアナウンサーをされ、退職なさった方で話すことのプロフェッショナルでした。確かOさんという方だったと思います。

 Oさんは「人前で上がるのを直す処方箋は練習に練習を重ねるしかない」と仰っていました。まだ、若かった私はにはとても参考になりました。運営部のキャストに対して「幸せ売りの皆さん」と言って、おもてなしをするプロには失敗は許されませんとも言っていました。「スピール(speil)」はキャストがゲストに対して安全やショーの内容について事前にアナウンスすることです。また、「ナレーション(narration)]」は上演前、上演中語り、解説です。運営部のキャストからこのクラスに参加しないかと誘われたことがあるのですが、心から素直に自然なおしゃべりができるようになるには、恥ずかしさを捨てて床を転げまわる、大声を上げたり突拍子もない基礎訓練をしなければならないといわれ、怖気づいてしまいました。

 また最も大事なことは「自分が楽しくなければ、ゲストを楽しませることができない」と仰っていたことです。笑顔で話しかければ言葉も柔らかくなり、悪い印象を与えることはない、まさにその通りだと思います。多分、Oさんの、あのようなクラスがあったことが、今も綿々と受け継がれ、TDR全体のコーテシーに役立っているのだと思います。

TDLのメニュー テーマ性

久々登場です。

これからはゼペットじいさんらしく、私がひも解くディズニーの世界について話していこうと思います。ノスタルジーさんかな!^^

 

TDLの中の「マイルロングバー」というカウンターサービス、この店がどこにあるかご存知ですか?意外と知られていないのが驚きです。これはウエスタンランドの「ハングリーレストラン」の中に併設され、正面入って右手にあります。

 

 ここは開業時、スープとホットドッグ・サンドウィッチの店としてスタートしました。マイルロングバーの名前の由来はカウンターの両サイドを覗けばわかります。カウンターがどこまでも続いているのです・・・マイル・ロング・バー^^その秘密は両サイドにある鏡です。そうですよね、両サイドに会ったら永遠にカウンターバーが続いて見えますよね。これがディズニーの遊び心です。そういえば、ここに自動演奏ピアノがあり、メロディを奏でていました。

 

 また、メニューも当時ウエスタンランドという西部開拓史時代のテーマ性を考え、ホットドッグは「パイオニア」、ツナサラダサンドウィッチは「トレイルブレザー・・・開拓者」、ハムサンドウィッチが「ホームステッダー・・・入植者の農家」とネーミングもテーマに合ったものになっていたのです。今この店のメニューがどうなっているかわかりませんが、ディズニーではメニューの名前一つとってもゲストにそのエリア、その世界を十分楽しんでもらおうと気を遣っているのです。

 

 そして、ハングリーベアレストランのカレーソースについては様々な意見がありました。香辛料をたっぷり使った本格的なインド風のカレーソース、小麦粉を使った家庭的なソース、最終的にはやはりここはファミリーエンターテイメント、当時一流のコックさんが研究を重ね、日本人の子供にも味のうるさい大人にも合うような味に仕立てました。1月にここでカレーを食べましたが、相変わらず、美味しかった・・・けれど隣を覗かずに来てしまいました。誰か覗いてみてください^^