ミッキーの誕生

ミッキーマウスの誕生について二つの話をよく耳にします。

 

一つは‟「幸せうさぎのオズワルド」の版権が契約上、「ユニバーサル社」のものとなってしまい、またチャールズ・ミンツに、ディズニーのアニメーターたちをごっそり引き抜かれ、裸で追い出されることになってしまった後、傷心を引きずりながらニューヨークからロサンゼルスに向かう汽車の中でネズミの主人公を思いついた“という説、

もう一つは‟カンザス・シティー時代(ラフォグラム・フィルム社?!)、父親から自宅の車庫を借り、小さな仕事場を作った時、夜ネズミがチョロチョロしている中作業をしていて思いついた“という説です。

 

※ 二つ目のカンザス・シティー時代の説にはさらに(1)公園のベンチに腰かけていると慌ててネズミが逃げて行った、(2)ウォルトがフィルム・アド社で働いているときにゴミ箱で昼食の残飯を食い荒らしているネズミの群れを捕まえ、巣箱を作ってペットとして飼い、その1匹にモーティマーという名前をつけた、(3)ラフォグラムのオフィスでうたた寝をしていると走り回るネズミの足音に起こされた、(4)窓から逃げだそうとして、窓枠をかじるネズミを捕まえてブリキの感に入れてしつけ、自分の指から食べ物をやり、様々なポーズを取らせてスケッチをした、という様々な話がある。

⇨ ただこれらはあまりにも安易過ぎて信憑性に欠けると思います。

 

 上記の説についてはウォルトが好んで話をしていたので、ある意味事実なのだと思います。私はネズミを使おうというアイデアカンザス・シティ時代に車庫の中で生まれ、いつかは使おうと思っていた、それが失意の中でオズワルドに代わるキャラクターを考えているときに浮かんだのが汽車の中だったと解釈しています。またある伝記の中では「ネズミをデザインしたのはウォルトだが、ひょろ長くて痩せていて、出来はあまり良くなかった。それを書き直したのがアブ・アイワークスだった」「本当のところミッキーの誕生はミッキーのユニークな性格と声を提供したウォルト・ディズニーとそのネズミに命を吹き込んだ(形と動きを与えた)アブ・アイワークスの共同作業の結果であったように思われる」とあり、これらから推察できるのは、ウォルト・ディズニーがネズミを使うアイデアとラフスケッチを考え、その後、アブ・アイワークスが今あるミッキーのイメージを創り上げていったと考えるのが正しいと思うのです。(下記、当時のフィルムタイトル参照)私はアブがいなかったら、ミッキーは今のように世界の大スターになっていなかったかもしれないとさえ思います。

 

実際に1928年の「蒸気船ウィーリー」のフィルムには

 

MICKEY MOUSE

SOUND CARTOON

STEAMBOAT 

WILIE

A WALT DISNEYCOMICS 

by UB IWERKS

 

とタイトルにあり、それを物語っているようである。

 

参考:「ウォルト・ディズニー 創造と冒険の生涯・・・ボブ・トマス著」

参考:「創造の狂気 ウォルトディズニー・・・ニール・ゲイブラー著」